最後のマンガ展 大阪版

展覧会自体もひとつの作品とすると、
この作品の周りにある空気っていうのは、
とてもいいなぁ〜っと思います。
関わっておられるみなさんが交流する場を大切に、
そして迎え入れるための力の入れ方と抜き方を、
意識してなされている気がしますね。
イベントなどでは、
力の入れ方はよく意識されていて、
いい集中を感じるですよね。
でも、
なかなか力の抜き方はむずかしい。
なにげないことなんだけれども、
力を抜いていてくれると、こちらも抜けるんですよね。
人と人の交流って、
ふっと発散した瞬間の話だとかで、親密さを持つものです。
それはイベントでも一緒で、
親密さを得るためには、力を抜きたい。
今の時代って、
集中ということがなにか命題化している気がするけれども、
それって、
現場をクリアしていくための要素にすぎないんですよ。
集中することの濃さと、
発散した時の親密があると、
そりゃおもしろいよね。
井上雄彦さんの作品にはそれがある。
この展覧会ではそれが見事に表現されている。

チームバチスタの栄光シリーズ 著海藤尊

チームバチスタの栄光
ナイチンゲールの沈黙
ジェネラル・ルージュの凱旋
イノセント・ゲリラの祝祭
と続けて読ませていただきました。
海藤さんは「桜宮サーガ」といわれる独自の世界を築き、
その世界の中に他書でフィクションを描いておられる。
病理医であることからのリアリティの医療行政と医療現場の
煩雑さと切迫は圧巻だ。
ストーリーや文章が劣るかというと、とんでもない。
まさに怒濤の如く、ページを読み進める手がとまらない。
人物像を見事に浮かび上がらせる描写と、
それを石つぶてにして広がる波紋はバタフライエフェクトのように大波となり、
しかし大波のニュースだけを伝えるのではなく、
しっかりとさざ波まで追いかけて描いていることがすばらしい。
すべての人をフォローして、文章を書くことはむずかいしい。
しかし、目の前にいる方にむけて、
伝わってほしいと切実に願いながら書くことで、響くものがある。
それは医療とて同じではないだろうか。

祝7周年のあいさつ。

サイトを開設させて頂いてから、
本日で7年を迎えることができました。
はじめた頃はなんだか自分でも、
意識していなかったことがいろいろものだなぁと思っています。
今の自分だったらもしかしたら、
あの時のように「えいやー」という気持ちではじめなかったかもしれません。
でも、
その分、自分としては肩の力が抜けるようになったのも、
事実だと思います。
これからもよろしくおねがいします。
そして、今日もありがとうございます。

325 音楽堂 矢野顕子

矢野さんがそこに座って弾いてくれて、歌ってくれている。
もうその信頼感と緊張感と言ったらないです。
つまりは信頼感というものだと思う。
歌やピアノがすばらしいことはさることながら、
なんだろうこの存在感。
あったらいいなぁ、
あってほしいなぁ、
そしてこうありたいという人が希求する気持ちをすくい取ってくれている。
しかしそれは正しさから発露される二分的な傾斜からではなく、
それらの二分的なものに流されずに、
本来あるべきな当然な価値を依拠しているからこそ
奏でられる音楽家として、
そして、
それらを内包する人しての寛容力があってこそだろう。
僕らは小手先のテクニックに助けを預かる。
それらを支えるためにも受け止める、人ってやつがいるのだろう。
双方は許し合える仲間になりえるし、そういうものだろう。
このアルバムが示すように。

324 家守綺譚 梨木香歩著

ぼくはこの方の、
「わかろうとしなさ具合」が好きですね、
なんだか知っている人やよくよく考えていることについて、
「わかったつもり」でいる側であろうとしてしまいがちだけど、
でもこの方は、
あくまで「わかろうとしない」側にいる。
それがいいなぁって思うんですよ。
つまりは、
簡単に、「そういうことにする」という世界に自分の考えを
送り込まずに、
ちゃんとどうなんだろうって、悩むんですよ。
それは自分のことも、相手のことも。
それって、素敵ですよ。
尊重や協調という言葉を安易に使うよりも、
わからろうとしない側にいる、
でも頑固で非流動的ではなく、
思考を可動させながらでおられるのがすばらしい。
いやはや、小説とみるか、エッセイとみるか、
また悩んでしまいそうです。

323 面白南極料理人 西村淳著

料理人というのはなんとすばらしいエンターティナーなのだろうか。
南極という限られた食材で料理を作り、
そして食事をとることの極みのようなところで、
西村さんはそれをしている。
それはおそらくぼくたちだって同じなのだろう。
限られた時間や場所、食材などを選びながら、
食事をとることになる。
そこでは絢爛豪華な食事ではなく、
率直でてらいもなく、健やかな食事。
この人の言葉を読みながら、
また調理された食事を想像していると、
腹一杯な笑顔とご飯をもらって、
昨日の分も、今日の分も、そして明日の分も、
笑っていきたくなるねー。

322 半分の自分でいる

去年末から今年がはじまってからの映画などを
見ていて少し感じることがある。
なんだか大きな理想を掲げてはじめるよりも、
とても近くあることを大事にしている。
つまりは映画を作るにあたって、
理念などの大仰なところからではない。
それはとても大事な気がしますね。
小説などを読んでいても、
とても身近なところにテーマを置いているものが増えている。
音楽などもそうだろう、
大山鳴動よりも、
目に映るところからの想像へと向かっている。
ぼくはこれはとても大事なことだと思う。
社会が大きく動いたり、
構造が移ろう時にも、
主義を越えたものは隣人であり、家人であり、友人なのだ。
今までは、
100%や120%を目指して安心するが不満足だった。
そして不満足なことに不機嫌になる。
だけれども、
自分の出来る50%ぐらいを見つめ直して、
50%を友人などの身近な人を信頼する時代なのだろう。
そんな組織って面白いわ。
平気で生きるってことが大事な時代って、
ここにも書いたことがあるが、やっぱりそうなってきたなぁ〜。
半分の自分でいる、そしてそれを楽しむっていいかもね。