偶然的必然性への三つの点とニュートラルに機嫌よく。

何か意見を考える時に、
昔だったら本音と建て前というのがあったかもしれない。
今だと、
個人のルールと組織のルールという大きなルールを二つ持つ事になるのだろう。
この二つルール、モデルというのを僕は尊重したいと思っている。
どちらか一つのルールが必ずしも正しい、正義ってやつでもないだろう。
その二つの矛盾するともいえるルールを抱えながら、
考え、悩むというのはとても良いことで、
間違っているとしても、正しい間違い方をすると思う。
個人のルールだけでも、
組織のルールだけでも、
そして、二点を結んだ地点のルールだけでも、
おそらくはだめなのだろう。
三点で結ばれた三角形は、人によって、時代によって違い、
その偶然性は捨てたものじゃない必然性を持っていると思う。
またそれからは逃れられないし、逃れる必要もない。
その偶然的必然性のために、ニュートラルでいられること。
ニュートラルでいるから偶然的必然性に出会えるのだと思う。
そこで上機嫌じゃなくってもいい。
なんだか、上機嫌じゃなきゃだめみたいになってないかい。
機嫌が悪いと、最悪ってなってないかい。
ニュートラルで機嫌がいいってぐらいいいんじゃないかなぁ。
そういう楽しみ方を僕はしていたいです。