30 5公私

公私混同というのは今までよくないものとされてきたね。
つまりは公のことと私のことを混ぜちゃだめだって。
でも、
ぼくは思うのだ。
公のぼくだっていっぱいあるし、
私のぼくだっていっぱいある。
それに私のぼくが公のぼくを決めるときもあれば、
逆だってあるよね。
線引きなんて出来やしないよ。
現代社会というやつは、
それがとっても複雑だ。
だからって、
開き直ってさ、すべてを私に!
なんていうのはぼくだってなんかやだ。
そう、なんかだのだ。
言葉にすることができるけれども、
その言葉には公でも私でもあるし、
ある意味どっちでもないとも言える。
そこがおそらく、ぼくなのだろう。
そのぼくの部分は大事にしたい気がする。
大事な部分を「根っこ」と名付けよう。
根っこは公にも、私にも通じると思うんだ。
すると、
根っこを大事に育てたり、鍛えたりしていると、
公私のぼくが育つはずだよね。
さっきも言った現代社会ってやつはさ、
その根っこを忘れがちな気がするんだ。
根っこから育った幹の公私ってやつは、
ぼくだって大事だと思うよ。
それがぼくにする要素だからね。
でも、公私から伸びた枝葉に目を向けすぎると、
根っこを踏んづけたり、
幹にぶつかったりしちゃってるの多いんじゃないかな。
でもさ、
公が私につながるぐらい大事に育てたりしてるっていうのは、
なかなかいい景色だよなぁ。
もちろん、逆さだっていいなぁ。
いい仕事をしてる人や、
いい暮らしをしてる人っていうのはそうだと思う。
世阿弥が「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」って言ったけど、
ぼくたちだって、
根っこからそうするといいよなぁー。
その木がその根っこを大事にしてくれてるって話はぼくは好きだよ。