248西の魔女が死んだ

少し不器用だけれどしっかりと生きる祖母と、
ちょっと不思議な出来事が起きる。
中学生の少女が一緒に暮らしながら見届ける視点は、
若さが持つ原点と祖母と同じく不器用さが混じるのを、
二人が交差する所や、線のはじめを初々しく読める。
その初々しさは大人になっても、
実はずっと初々しい。
だけど、ずっと初々しいだけじゃなくて、
線や絵を描く筆が変わっていく。
10代のこどもには出せない味がその筆からは出る。
微笑む顔を作り笑いとは簡単には言えないものが、
その筆にはある。
しかも、その不思議なことに、
絵の具やキャンバスでさえも変えてしまう。
もちろん、味にね。
10代のこどもにもあるはずの、「生きる」というものが、
祖母は「言葉」としても、「暮らす」ことにも昇華されていて、
存在そのものが、「生きる」なのだ。
愛おしく生きている。
相手にも、自分にも。