242能力以上

能力以上をどうやったら出せるかって、
みんなよく考えるよね。
それはどう活かすかってことだと思う。
それを活かすには何が必要だろうって。
しかもそれは瞬間的というか、単発ではなくて、
継続して活かすにはっていう、問いがある。
それって、はやりどこかで余裕がありながら、
新しいものを捉えるアンテナが操作出来ることじゃないかな。
つまりは、客観視出来ることになったりするけど、
それはあそこへ向おうっていう山が見える状態じゃないかな。
そうすると、向おうする意志とか動機もあるし、
力が備わっていて、見渡せる余裕もある。
客観視って、どのことを指すのか、なかなかわかりにくいけど、
その見渡せる余裕があることじゃないかな。
その余裕はどこから来るからって、
経験とかから導き出される事もあるだろうし、
技術の裏付けとか、論理的な方法とかあるだろうけれど、
それは落ち着いてみるとこうだなから由来すると思う。
落ち着いた時に出る力って、自分が思っているよりも、
出せていて、
しかもそれは出そうとするっていうスタイルから来るものじゃなく、
歯車を押すみたいに力がいらずに、
でも能力以上の力が回るような所がある。
そして、この歯車を動かすと風車が回り、水が流れる風景は見えているから
押したりする。
風景の中にいる自分っていうのは、
自分自身から出るこうしたいっていう願望よりも、
引いた場所からその風景を見てその中に自分を入れて、
自分がやるのにゴーサインを出している。
そして、それに合図のように納得しているから、
余計な力、無駄な力が入っていなくて、
思ったよりも疲れずに気持ちがよかったりする。
何かを望む時って、
かけ算とか足し算をして増やそうとするんだけど、
実はそれは負荷をあったり見えなくなっていることが多くて力が出せずに、
割り算、引き算で見えた大事な風景から得る力っていうのは、
いつでも活かせる余裕にまでなる。
すると、望むのそのものは実はそれほど多くも大きくもなくて、
余裕であるのが、望んでいる一番の理由。
落ち着いて余裕の散歩をしている風景っていうのは、
能力以上に秘密を発見が出来る事を教えてくる。