241インフョメーションの有限

何かをお知らせする時に、インフョメーションをする。
でもそれにも有限がある。
つまりは締め切りなのだと思う。
ここまでにしておきましょうってやつです。
でもそれで道を途絶えたと悲観することはなくて、
次の道があったりする。
それはぼくたちが思ってているものよりも、
ずっとそばにあって、どこかに特別なものがある
訳ではない。
インフョメーションの有限をしてなお、
するべきなのはイマジネーションだと思う。
そのイマジネーションっていうのは、
単体として力を生むものではなくて、
そのイマジネーションの中に飛び込むことが大切。
勇気と言う事もあるし、
覚悟と言う事もあるだろう。
しかし、ぼくは思うに、
それは力を少しずつ溜めて爆発するように、
大いなる無駄かもしれない蓄積からなるものが、
とても素晴らしいのではないだろうか。
蓄積が爆発するときの切っ掛けは、
特別な何かという訳ではないと思う。
後で翻ると、あの時が起点となることもある。
でも、それもインフョメーションの有限の
なかの一つだろう。
きっかけと締め切りって、
わずらわしさのセットとしてある気がするけど、
実は無駄なこととされているものの使い道かもと思う。
ちょっと雑な言い方かも知れないけれど、
きっかけと締め切りを無駄と組み合わせる、
っていうのは一見は凸凹なのだが、
面白いと思う。
それって、実は人生そんなもんだろうっていう、
なんだか醍醐味とさえ言える。