236 臆病と優しい

学生の頃にみんな、っと言っても、ほんとにみんなじゃなくて、
たくさんの人と言う事だけど、
優しい人、にいいなと思えて、尊敬したり憧れる。
優しい、ってどのことを言うのか、
特定にしくいけれど、
温和であったり、人のためになにかをしてあげることのように思う。
しかしこれは後でわかるんだけれど、
限りなく優しいってのも塩梅に困る。
時には、人に厳しいかも知れないが言う事も大事だったり、
そのためには感情的な怒りではなくて、理性としての叱ることが、
後で知る、本当の温和だったりするからだろう。
それと、人のためになにかをしてあげるってのは、
素晴らしい役目だからこそ、一人で考えることがいる。
そう、それは一人でやる事っていうのは、
学生の頃、子どもの頃はわからない。
そして、それは時間とともに、
自然と知り、やることになる。
それをやる時、実は臆病であったりする。
臆病だと、それを子どもの頃や学生の頃には思っていたりする。
しかし、実は素晴らしい時間なのではないだろうか。
人知れず、怖いと臆病になりながら、
やってくれる事は他人からするとありがたいことだったりする。
だから、臆病に思えるその時は、胸を張ってもよい。
一見、臆病と優しいっていう、
組み合わせはないように思うし、
独立したことに思える。
しかし、その一見っていうのは、子どもの記憶のようなもので、
裏表になっているものはたくさんあるんじゃないだろうか。
苦しんだ後の、一塩の喜びなんかもそうだよねぇー。
そういう組み合わせっていうのが、
素晴らしいエンターテインメントじゃないだろうか。
それをずっと待っている気がする。
そして、その組み合わせを生み出す時代じゃないだろうか。
他業種交流や多機能施設なんていうのも、そうだよねー。
その物事の本質同士が、見えて、それを繋ぎ合わせる。
繋ぎ合わせた時には、今までは潜在能力とは思っていなかったものが、
実はすごく広がりがあるなんてこともあるだろう。
そこで何が大事になるだろうか?
それは、寛容である。
くだらないものやなんかも生まれて、多種多様だろう。
それを受け入れる姿だ。
そうやって、時代がめくられて、エンターテインメントになったのだから。