232 ジャンル

さまざまな分野で細分化されて、
分業化されたジャンルがある。
ただそのジャンルの中にいるっていうのは、
ジャンルの中で生きようとしてる訳ではないと思うんですよ。
ポップカルチャーの歌手にしても、
和風料亭の料理人にしても、
その中で生きている訳ではない。
役割として、その中の理由を知っているかもしれないけど、
その人として生きる事が、
結果としてジャンルを活かすことになっている。
素人では脈略のないようなポイントを、
自分自身に引き寄せて、ラインにすること。
引き寄せたり、押し戻したりする、
とても人らしい行為がジャンルの中にあるのを、
座標軸をズラしたり、はっきりさせるのが、
実は本当に求められていることだと思う。
ポイントになっているものを、
ただそのままに留保していては、
捕まえられない事がたくさんある。
今の社会の情報って、
一つの情報に対して、
どれだけ情報がぶら下がるか、ぶら下がっているかを、
数えながら、一つの大きさ、希少性を大事している。
その情報は、検討としての道具としてはいい。
つまりは、お願いしますとか、お断りします、
っていう段階の情報なんだと思う。
ただ、その情報は発生源、始点が大きな割合で、
中心から円を描きながら広がるものだと思うんです。
実践の段階になるとそれでは足りない。
実践する時は外から来る情報っていうのも大事で、
そこを繋ぎ合わせて検討する。
一人だけで良いのなら良いかも知れないけど、
コミュニケーションや外と接触する時には、
そういう道具がいると思うんです。
で、実践の道具は発生源から膨らみじゃなくて、
外と繋がった時の視点があるので、
初動の早さではなくて、
一人一人に委ねられるところがあると思う。
実践の道具は、検討する道具とも併用が可能で、
例えば、沢山の情報がぶらさがっているものに対して、
自分という外との膨らみを大事にすることが出来る。
それは役割として、その中の理由を知っていて、
その人として生きる事が出来て、
結果としてジャンルを活かすっていう、
面白さそのものだと思う。