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人って不思議なものでさ、
好きなものって、何も苦もなく語れたりするんだろうし、
かといって、嫌いなものなんかは、
苦が入り込みながらも語ったりするよね。
このゲームって、
オレにとっては両方が入り込んでると思うんですよ。
すごく好きなものって、どこかで苦っていうか、
苦味ていうのかな、が入っていると思うんです。
そこまで認めるっていうか、受け入れるっていうか。
すると、簡単には語れない歴史みたいに、
時間がかかる、っていう約束もあったりすると思うんです。
だから、
一度このゲームをプレイして、クリアをしてからでも、
置いておこうとか、
またプレイしようっていう、選択肢がある。
それって、作ってる人からすると、嬉しいだろうなぁ。
野球がシーズンを終えて、
また来年も頼むぞ!って、
選手が応援する人に向けて、
応援する人が選手に向けて、
思えたら最高だと思うんです。
それを出来てるのは、何事にも代え難いんじゃないだろうか。
良い意味での一度キリの楽しみ、面白がり方は、
こんな時もあっていいよなってのがあると思うんです。
それを、セットの中に入れつつも、
もう一度って思えないと、お互いに出来ない。
よく僕は思うんですけど、
紙芝居として、1枚が「この場面があってもいいよな」
って事が続いて行くのが最高の世界になると思うんです。
それを本当に出来てる世界にやっぱり居たいと、人は思う。
小説の世界でも、
歌から広がる世界でも、
同じことだと思うんですよね。
共有出来る世界とも言えるそれらって、
必ずしも正しさではないと思うんですよね。
理性はあるかもしれないけれど、
そこにプラスされる情熱がなかったら傾く事って、
したくないと思うんですよ。
理性が無くって、怖くないっていうのも嫌だけど、
理性として、ありとされるのも嫌な所があって、
理性として、怖いと思うけれど、それでも情熱みたいなもので、
飛び込んで行くのに拍手をしたいと思うんですよ。
で、このゲームはプレイヤーとしても、
それをしたいし、出来るところが魅力なんだと思う。
プレイヤーとしても、それが出来るものって、
すごく少ない気がする。
だけど、「この場面があってもいいよな」の中に自分も入りながら、
やりたいと思います。