226 市川崑監督、逝去。

今たくさんの監督がいて、
その中で北極星としてふさわしいひとは居ないのではないだろうか。
彼を見ていると、見失わない。
ドキュメンタリー、ミステリー、エンターテインメント、
時代劇、現代劇、文学と扱っている幅が広く、
ずっと監督であり続けた人が居てくれるのは心強い。
映画が業界ではもちろん、文化としての財産だ。
役者出身やカメラマン出身、CMなどで映像を取っていた方など、
様々な入り口があるいま、映画を舞台にしつづけている人がいるのと、
いないのとでは全然ちがう。
夏目漱石原作の「夢十夜」、横溝正史原作の「犬神家の一族」では、
小手先無しの真っ向から描いている。
それはベタをしりつくした人が描ける、
ベタを飛躍させた映画でした。
出来る事と出来ない事をわかって、挑戦してを、
繰り返しているから生まれる粋で潔い映画。
映像やキャストの選び方、脚本などでも、とても潔い。
無駄がなくて、丹念の中にある素朴さがある。
その素朴さは人間らしい。だがヒューマニズムではない。
とても動物的で自然な業。
憎めなさや讃えられることがある。
でもそれすらも余技であって、大した事ないですよと、言いそうだ。
一本の映画で、
畑を耕して、種を蒔いて、花を咲かせるのは、大変な労力であるが、
それを見事にされている。
農業で実らせるには、素人では肥えた土地がよいと思ってしまうが、
玄人は栄養がありすぎると枯れてしまうのを知っている。
適度に水をやりながら日が焼べるのを待つ。
それがもっとも難しくて、シンプルであるという、
矛盾を抱えた答えを知恵として知っている。
彼が荒野を名所にし、実らせたものに感謝し、実りがまた来る事を願う。