208 少子化

随分前から言われている事だが、
日本が少子化が進んでいると時より触れられている。
で、ぼくもそれについて考えてきたつもりだ。
結論から言うと、少子化は問題じゃないと思っている。
確かに、経済面だけで考えると、
子どもが減る事で経済活動は抑えられる。
だが、それだけで本当に問題とは言えない。
昔は子どもが増えるのに合わせて経済活動をしてきたが、
それを抑えつつ、違う所に視野を持って活動すればいい。
別に昔の活動が簡単でもなければ、
これから向けるべきに視野についても簡単と言うつもりはなく、
どちらもやるべきこととしてやるということだと思う。
少子化で一つ、考えておくべきことは、
それは一人一人の意識決定されているということだ。
これはとても大事なことだ。
そしてそれでいいと思う。
もし、それぞれの意思決定でなく、
少子化を解決しようとするならそちらの方がよっぽど問題。
今の意思決定は、勝手に個々がやってるいる訳ではない、
家庭での状況や、会社の状況、社会との状況を踏まえて、
なされていることなのだがら、とてもよいことだと思う。
これを問題としているのは、
政府や政治家などの思惑によって経済活動を活発にしようとする
下手な政策なのだから、
そんなものは放っておけばよい。
考えておくべきところは、整備や環境のことだけだ。
子どもたちを生むや育てやすい環境にするということ。
保育所産婦人科、学校や保険などの整備をするべきであって、
それは社会として負担するべきこととして、
認識させようと勤めるのが本意だろう。
そして、環境が整備されていないことを、
理解しているが多いからこそ、
意思決定の時に生まないということになっているのは、
自然な流れであり、賢い選択と言えると思う。
政治家たちも格好を付けずに、
やるべきことを唱えるべきだし、唱え合えるようにすることで、
クリアになることがたくさんあるんじゃないだろうか。
難しくというか、
難しい話を語っているようにすることで、
湾曲されることの一つだと思う。
いっそのこと政界用語を禁止してしまって、
ふつうの話し言葉で話してみると、いいんじゃないかな。
政界用語の賞味期限ていうか、
有効性みたいなものが切れていると、思うんですよ。
かといって、尊敬語や敬語をやめろという訳じゃなくて、
流暢な話し方を出来無い人が政治家っていう、
言葉を生業にしている人としていけない。
まずそこからやってみると、
やるべき事とかわかるんじゃないかな。
戦後で日本語の使い方が変わった業界はたくさんあるけど、
政界だけはかわらない。
日本語として残すべき言葉はあるけれど、
これからも昔の言葉を残す必要がない業界と思うんですよ。
姿勢であったりとか、行動に対して律するべきだが、
現在は律してないのを、言葉を隠れ蓑ににしているから、
それよりは、言葉のありがたみがわかるだろう。
天皇家が象徴であるとは、この事な気がする。