205 佐藤可士和と佐藤卓

誰にでも出来ることを、 
バカにせずにちゃんとするというのは、
骨折り損のくたびれもうけってことはなくて、
しっかりと返ってくるものがあるというか、
成果があると思うんですよ。
人と話すってとか、
文章を書くとか、
毎日に歩くとか、
電話の応対をするとか、
お風呂に毎日入るとかってことまでも、
それを誰でもやってることなのだが、
他所を向かずにやってみることは後で効いてくると
自分自身を振り返ると思うのだ。
何度も自分自身がやってそれについて、
飽きるってことはなくて、
新鮮な気持ちになれるものがある。
そうすると、
誰にも出来ないものになっていたりする。
それのなかには、
たくさんの考えた量や質が詰まっていると思う。
それって、伝わる。
色んな場所で飄々と仕事をされている人は、
そんな仕事をしている。
誰もがする仕事を、
自分の仕事ととして、
誰もが出来ない仕事にしている。
それは空気のなかで、
何を加えればよいか、
何を控えればよいかっていうのを、
わかっているように思う。
なんだが禅に近い、そのままに出来るだけ留める ことを考えながらする。
省略や含めるという正体みたいなのを
知っているんだろうなぁ。
空気にあるエネルギーを元にしている
力とでも言おうか。
それはルールですらも見据えながら行うことだろう。
そうすると、
言葉だってルールだろう。
それらとどう向き合うかってことでエネルギーは生まれると思うのだ。
それは向き合うだけじゃなくて、並んでいることもあるだろう。
その時に一緒に並んでいるのは、
潜在的っていうよりも、動物的な感覚なんじゃないかな。
でもそれは野性的な力ではなくて、
むしろ拝見させて頂くという謙虚でありながらも、
挑めることには全力でという貪欲さもある、
自由についての意志のバランスがとれていることだろう。
それは大人はなんでも自由だというのは幻想ということと、
大人は苦労ばかりで大変だってことばかりじゃないってことも知っている、
その面白さがデザインのもとになっているだろう。