204 思い出の打席

子どもっぽい話はほんとうの子どもがする話ではなくて、
大人になった人たちがする話の種類の一つだろう。
ツッコミようによっては「それは、無理だろう」って
されたりするのだろう。
だけど、前にできないと知ったものが、
実は後になってできるようになっていることが、
含まれていることがある。
だから、そういう子どもっぽい話を、
時よりしたりするっていうのは、いるんだと思うだ。
みんなが忙しいなか行けねえよって、
思いながらも、たまに温泉いこうよって、
行ったりするのもそれだと思うんだ。
ふっとした切っ掛けで行けたりするもんだしね。
そして、子どもっぽい話が切っ掛けを作ることだって、
大いにありえるのを、大人になると知ったりする。
どこまでも子どもっぽいってのは、
大人になると迷惑をかけたりするし、苦労もあるだろうけど、
大人としての子どもっぽい話というか、
おしゃべりとして、つまりは遊びとしてだけかもしれない
話すってのはいいなぁって思うんだ。
それでその場のトークを楽しめるということもあるし、
と同時に、先の場所にある打席に立つ事が出来るがするんです。
やる気をだすとかって実はやる前よりも、
やってる最中に出たりするもんだけど、
先の場所にある打席に立つことが出来るっていうことで、
それをやりはじめれるのは、すごいありがたいことだなぁって思うんだよ。
で、それはやっぱりごめん無理だわってなったとしても、
潔いっていうか、気分がいいがするんだ。
それをしっているものの同士の体験ができるってのも、
それはそれで打席なのだと思うんです。
きちんとつきあっている大人の関係だと、
実際にするどうこうよりも、
打席立っているのを見たり、見られたりするっていうのが、
あるとそれは思い出になる。
子どものときっていうのは、
思い出づくりに場所や物がいるかもしれないけど、
思い出づくりっていうのは、見てくれたり、
見ていれる嬉しさみたいもんだと思います。