199 知識

今ってさ、知識って、ないよりは、
有った方がいいってされてるけど、
むしろ、あるよりはないがいいって、
思うんだよねー。
つまりはさ、知識があったとしてさ、
柱になる好奇心とか関心、感心とかさ、
そういうもののほうがやっぱり大事でさ、
ってことを言いたいの。
それでさ、その今の知識って、
こうその柱になる部分に負担になることが、
たくさんあるんだよねー。
知識があることで柱を邪魔にすることだって、
あるはずだしさ。
知らないから柱から楽しめるだってある。
だからさ、何が言いたいかっていうとさ、
まずは柱だってこと。
これさえあれば、特別なものが必要な訳じゃなくて、
どこでも楽しめるんだよ。
それとさ、この柱っていうのは、
たくましくてさ、何かあっても、
自然と出来きたり、残るのが柱たる所以、
あ、ホントに所以かはわからないけど、
とにかく強かったりするの。
それで、そうやって出来たり、残った柱は、
言わば支える力がある、そこに居る力がある、
ってことだろ?
これは、ありがたいことなんだよなー。
しかも、これは1回こっきりなんて切ないもの
じゃなくてさ、何度も続けてあるからさ、
面白いんだよなぁー。
いやさ、その場で仕入れるっていう、
現地調達するのも捨てたもんじゃないと思うよ、
あれはあれでさ、オレ自身助かった所があるよ、
お世話になってるからそんなに卑下する事も出来ない
んだけどさ、
柱のいいんじゃないかって、
改めて思ったもんでさ。
さっきから言ってるさ、柱っていうのは、好奇心で、
それと、現地調達する、
つまりは空気を読むみたいなものは、廊下で。
片方ずつが使われたりすると思うだよ、意識としては。
でも、本当は地続きでさ、どっちかだけじゃ、
家は立てられないだろ?
柱だけじゃ家は立てられないし、
廊下だけのが近頃多い気がするのよ。
なもんでさ、廊下が傷んだりするのを見たりするから、
つい、言いたくなってね。
ま、ゆっくり安生、暮らしたいじゃない、
それじゃ、家だし、柱と廊下だなって思ったのよ。
あ、そろそろ時間だし、じゃ、またな。家帰るわ。