197 思いがけなさ

思いがけないはいいなぁ。
取り留めもないもので、とんでもないもの。
他の人してみたら、
なんの価値のないものかもしれないし、
大袈裟に言うとこれ以外は何もいらないって、
言っちゃいたい気分にさしてくれる。
いくらでも価値として、生活の趣味のように、語れる対象で、
それは人生の醍醐味じゃないだろうか。
人生とはっていう語り方も捨てたものじゃないと思うけれど、
農業滅びて、農学栄えるみたいになってしまった今だと、
農業そのものが語れる対象の思いがけなさ。
語られるって事は、語りたいと思うわけで、
そこの語られる力っていうのはすごくて、
動機があるんです。
それって、伝達が出来てるってことなんですよね。
そうやって、語れるものが生まれる物語って、
なんなんでしょうね。
昔からあるお祭りが出来上がり、その祭りの後を語らうのと
まったく構造は一緒で、
語られる価値のなかに、
祭りの神輿になって踊る部分もあり、
屋台の出店が並ぶ通りがあり、
神社の境内に列を作りながらお参りをして、
花火や太鼓なんかを眺めながら季節や自分と周囲を思ったり、
色んな顔を見せながら、
帰り道が設けられてぞろぞろと帰るように、
あれを面白いかどうかって言うのと、
全く同じだなぁってすごく思う。
価値って、一面的に思われがちだけど、
内には多面があって、トータルで見てるんですよね。
思いがけなさも、そうやってお祭りに誘うみたいにさ、
どうやって楽しんでもらうとか仕掛けがあるものが、素敵だよねー。
そこで、語れるのを想像して作られたセットはいいね。
町を大きな廊下や柱がある家見たくしながら、
寛いでもらえるスペースを作るとぼくたちも見る所がある。