196 肯定

なにかを拡散させるような事にしても、
集めて整頓するような事にしても、
肯定がなければ、できないことと思うんです。
でも、今の世の中で、
歩けば棒に当たるように、
肯定していても否定したり、
しかも肯定する前から否定したり、
ああいうのって、
肯定をして作りだしてる人に対して、
すごく失礼だし、
肯定をする前の人のやる気を削いでしまうと、思う。
それに、その否定していることで、
何かを生み出したりすることってほとんどないから、
これが質が悪いとすごく思う。
否定すること自体は、必ずしも悪くはないが、
それを出さないというもっと大事なことを、
そっちのけになってしまうのが一番ダメだろう。
それと、肯定してなんとか形にしていくのが、
一番でそれが、後々にありがちことになったりするのが、
その前から出鼻をくじかれると、厳しい。
形にすることがまず大事で、最低限の労のねぎらい方を、
しらないといけないだろう。
細かいディテールのどうこうを言いだすのは、
すごくはしたない気がするし、
その空気や場を作り、姿として、
面白かったりすればいいのにと、
作品なんかを見てるとつくづく思ってしまう。
小説なんかでも、
一行を粗雑に扱ってはいけないが、
しかし、一行でそんなに神経質になるのも、
どうかと思う。
そのへんの微妙なバランスっていうのは、
やはり作った人への敬意から来るのだろう。
それって、どんな人の関係でも、
忘れてはいけないだろうし、
とりあえずそこに戻ってから、接して行きたいと、
いまさらだけど、改めて思うんです。
そうすると、作者も人だから、
なんとかそこで答えようとして、くれる。
それの答え方は万人違うし、
またそれを楽しめばいい。
人の考え方や、世界観と言われる、
そのあたりも見えてきたりする。
そう考えてみると、真面目な態度とされる、
否定がすごく悪いなと思う。
ふざけてるような、怠けてるような態度のほうが、
よっぽど生産的で、いいなぁっと思います。