194 言葉

物事の発達っていうのは、面白いもので、
グーテンベルグ活版印刷を発明した事で、
聖書が世界的に広まり、そして、本は世の中に
インフラされた。
その後に広まったのが、新聞で、
メディアとして公共化されていって、
事件や事故なんていうのも、
それによって比重が大きくなったように思う。
それからインターネットだろう。
それまでもあった情報が、より情報化する流れが生まれた。
本にしろ、新聞、インターネットにしろ、
それ単体ではなくて、社会、時代との、
裏表が一つになって広まったのは間違いない。
言葉の発展の起源をさらに遡ると、
講演なのではないだろうか。
つまりは、人前で話すということ。
時代を経るつれて、この人前で話す言葉から、
活字とされた言葉が大切に、大事されていっている。
しかし、コミュニケーションという、
人前で話す言葉も大事されるなんていう、捻れ現象が起っている。
そして、コミュニケーションには、
人前で話す言葉だけじゃなくて、非言語の部分、
仕草や動作の部分も含めていっている。
たしかに、この二つは大事だ。
公私に渡り、これはずっと携えていたいと思う。
そして、それが一番大事なように思える。
話し言葉や仕草は、その国の文化がとても映し出されるからだ。
文化は、一蓮托生とは行かず、
長い時間を重ねて、生まれ、そして行うことができる。
しかし、資本主義の構造がそれを分断しようとしている。
文化と活字での、組み合わせがあってこその、
構造であり、折り重ねられるべきものが、
ここにパズルになろうとしている。
それら一つ一つを繋ぎ止める役割が減った結果。
役割は、それらを繋ぎ止める事を知り、実行することだろう。
実行するとは、時間をかけて重ねて、生むことだろう。
結局は、資本主義により硬直化したり、
正義となって、生きることが、
自らを締めつけていることを忘れないために。