193 景色

クセのあるものを後でとても好きなったりする。
景色や自然だって、そうなんだと思う。
真夏の暑い中や真冬の寒い中を、
身をよじらせながら登って行く出世魚のように
歩いたりする。
それを遠い景色を楽しむように、
夏休みやお盆、クリスマスや師走の発明で、
忘れている正直な、素直な気分で見たりすることが出来る。
温泉なんかでも、これを言うと、
身も蓋もないが、熱い水を、温泉と名付けたことで、
一つの名所なる。
音楽でも、単音の繋がりでしかないのが、
素晴らしい音の繋がりになるとメロディとなる。
そういう、なんでもないような生活の中に溶け込んでいるもの
は実はすごくポテンシャルがあるのだろう。
デザインって、そういう力だと思う。
たくさんある中に、埋もれているものを見つけ出して、
広めて、さらにわからなくなってしまうほど浸透する。
磨かれていなかった部分を磨いたり、
形を変えて受け取りやすいようにしたり、
名前を変えて存在を教え直したり、
ゼロからだけじゃなくて、1を10にするか、
1をどう認めるかみたいなのが、
そのもの自体のポテンシャルを出したりする。
豊かな時代とそうでない時代があるように、
どちらかと言えば後者の方が、デザインに向いているのだろう。
工夫をしたうえに作って、それを届ける、
そしてどうやって買おうかという工夫をして頂く、
お互いが工夫を相互にしながらしてるのは、
実はありがたいことだと思う。
そして、後の豊かな時代になった人も、
それを使えたりする。
夏休みやお盆などがありがたく使えるようにね。
歴史って、そうやって、単音ではなくて、
繋がってあって、一言ではなかなか語れない。
それを大人になってから知ることになり、
正直な、素直な気分にさせてくれる。
文化や歴史って、資料だけじゃなくて、
そんな気分のなかにあるのかもしれない。