188 古田引退

素晴らしい人が引退されたり、
もしくは亡くなれると、
ついに・・・と思ってしまう。
なぜなのだろうか。
それは、彼、彼女らがこれから何をしてくるのだろうという期待と、
いつ引退、退くのだろうという不安がどこかにあるからだろう。
そういう意味では、古田さんはずっとそうだった
ように思う。
野村監督の元にて、その力を広げていた時から、
兼任監督として任命されて、球場だけでなくて、
彼が登場すると、期待を感じる。
しかし、その期待は長島氏やイチロー
新庄などが個々に持つものとは違う。
また野村監督とも違うだろう。
スター、ヒーロー、教育者等でもなく、
リーダーだからだろう。
球界のリーダー。
捕手としてだけでなく、チームはもちろんのこと、
球界のリーダー。
そして、忘れてはいけないのが、父親であること。
しかし、ここで思う。
もしかしたら、ヒーローやスターにはなる
ことが出来るかもしれない。
でも、リーダーは一人しかなれない。
それは本人がなりたいと思っても、
なれるものではないからだろう。
他の人に、薦められたり、ほめられたりしながら、
なるものだろう。
だがしかし、その時に本人が決めることだろう。
それを、受け入れる力がいるのだろう。
前述しておいて、なんだが、
ヒーローやスターもそうかもしれない。
なりたいと思ってなったものではないかもしれない。
それを、受け入れているのだろうと思う。
だからこそ、彼らの器である、
ウラも表も、素晴らしく映り、そうなのだろう。
決断を自らしたものでもない決まりを、
甘んじて認める。
不思議なことに他力が加えられるという、
人生はすごいものだ。
しかし、やるべきときには第三者の力ではく、
自分の力で、理由で事を成す。
お疲れさまでした。
この言葉だけでは、どうしても締めくくれないものを
持っている。
それは、感謝をしつくせないことと、
これからも、期待をしているからだ。