177 エヴァンゲリヲン新劇場版/公開前

本来、作品は見る前から大きく話したりする、
ってのは反対する立場です。
ですが、フライング気味に今回は書いてみたいと
思っています。
理由は、視聴した映像や宇多田ヒカルの音楽から
すごく突き動かされる感覚があったからです。
日本はいま、映画やアニメがとても盛んになった。
だけど、チヤホヤもされていない。
監督がやはりフューチャーされている。
過剰にならない程度であれば、
それは監督、もしくはプロデュースの役割として
与えられるものだろう。
その彼らが最前線で納得をスタッフにしてもらえるものをだす、
それを仕上げる。
何作か作ってきた監督にとっては、
それを切りはせないこととしてわかっているだろう。
アニメ版放送より12年経った現在描く。
これはとてつもなく怖いだろう。
理由としては、12年前に当たっていること。
両論のなかで描かれている世界は固定化され、
一つのパズルのピーズのように語られて、
確認作業のように見られている。
これは監督にとっては非常に苦しいだろう。
確認作業として、見られる、
これは作品の制作そのものにも言えて、
確認としての、「これが良い」を作られている。
固定概念化されたものを複製される。
とても怖いことだ。
「これが良い」を認められるためには、
それを受け止めて、違う場所、違う存在を作るべきだろう。
でなければ、源泉が同じ水になってしまい、
実存の「これが良い」が生まれなくなってしまう。
だから、リメイクが必ずしも良いや悪いとは
言えないという意見です。
リメイクをする、
いまの時代に作る、
彼のキャリアに対する答え、
新しく会社を作ってまで作る、
それらの動機があったのでしょう。
もしかしたら、それらではなく別かもしれない。
そんな事を感じれたらと思います。