165 インターネット

今更なはなし、って言われるかもしれないが、
これってなんだっけ?
思うのいっぱいあると思うだ。
飛行機にしても、意外と、
これってなんだっけ?の世界だと思う。
だって、これとこれっていう部品やら
理論やらは飛ばす技術はあるかもしれないが、
実は飛ぶ理由と飛ばない理由はなかったりする。
一般としては、移動手段の中では最高レベルだ。
けれど、軍事・政治的手段としても見いだされている
事も考えなければならなかったりする。
インターネットだってそうだと思う。
情報の提供、取得っていうなかでは、
とても便利だ。
私も重宝してることはたしかだ。
調べものや思い出せずにいるときなどは、
検索やデータを見つけるのは、
そんなに困難なことではない。
それはつまりは頭としての
情報はあると思うんだ。
だけど、
大事などうやって渡そうとか、
どうやって受け取ろうってところが抜けてると思うんだよ。
もちろん、そうじゃないのもある。
ひとつのシーンのなかで、
作り手であり、
渡し手であり、
受け取りであり、
読み手であるのと思う。
わたしは商品や作品に限らず、
全員が作り手で、全員が読み手だと思ってる。
社会であったり、家族であったり、恋人だってそうだろう。
戦争だってそうだと思う。
色んな役割をひとりひとりしてる。
でも、いまは受け手や渡し手の役割が少ないなぁ
ってすごく思います。
言い方をかえれば、
作ったものを受け取ってないし、渡せていない、
っということだろう。
ドックイヤー、と言われるほど消費や提供の時間が
早いと言われている。
(ちなみにドックイヤーの語源は、
犬は時間の流れが早いことからついている。)
私も同様に早く感じる。
どこでそれを感じるかと言うと、
消費される鮮度や吟味される速度が
とても早い。
作品では顕著に四捨五入されるのが早い。
トライアンドエラーを繰り返し、
自分たちを強く逞しくしていく、
この考え方は大事だと思うが、
ただ、あまりにもディテールにこだわりを
持ちすぎると固執したグループになり、
「いつもの」だけが必要になり、
伝統や新鮮さっていう、二つの余地すら無くなり
渡す意味、受け取る意味が損なわれる気がする。
身体が資本っていう言い方をするけれど、
そのあたりも含め言っていると思う。
ある種の知恵として残されたんじゃないかなぁ。
タイムアップの期限は千差万別で、
ルールも違う。
ひとりのプレイヤーであり、
チームメイトであるわたしたちは、
チームプレイとはなんなのだろうか。
これについて、
じぶんが関わっていきたい最大の好奇心であり、
知恵となれば本望だと思ってます。
そして頭いいっていう表現があるけど、
そういう知恵についていいたいと思う。