162 考える

公私で、この「考える」って言葉を使う機会が色々あって、
その度に自身でなんなのだろう、と。
クリアな状態なり、所謂無菌状態みたいなもんはありえない。
だけど、自分や周囲との「社会」で、
「ちょうどいい」を探してみたりする。
その探す方程式ってないんだろうって思う。
一人一人違うってのもあるけどさ、
考え始めてA地点から終わりのBに向かっとき、
B地点では使えない事が多い。
むしろ、使ってはいけない。
ただ、想定してみるってのは、
大事で、違う力がつく。
そして、当然なのだが忘れがちな、
その場で考えるに限るのだ。
で、考える時にヒントになるのは
その場において大事なものってなんだろう、
関わってる人、自分にとって、
これから先にとって大事なことってなんだろう
ケチらずに考えることじゃないだろうか。
それを繰り返す事だと、すごく思う。
これはコミュニケーションでも。
やっぱり個人間での良い思いなり、
業界に対する良い思いなりってのは
間違ってるとか正しいとかってのは別として、
いくら話してもいいと思う。
その人の自己責任だし、
良いと感じたんだからね。
その後どうするかってのが大切だったりするし。
でも、嫌な思いってのは取り扱いに
気をつけてねって深く思う。
行動するっていうのも、
駅まで歩く、とかっていうような
「そういうもんだから」っていうものって、
もっと楽しんでみてもいい。