153 2006師走

日本のものを好いていたいと思う。
日本人だからっていうのもあるだろう、
関わる人が携っていたりするかもしれない、
でももっと大きな理由としては、
身近で力が注がれているものを受入れたい
って事だろうと思う。
だからって、他のを蹴散らしたりする訳じゃないんだよ。
クラシックだって、ジャズだって、ボサノバだって大好きさ。
だけど、やっぱり身近なモノたちと戯れていたいと思う。
戯れるっていうのを、遊ぶや生きるって変換してもいいかもね。
恐らく、日本に向けても、海外に向けても
発する力・エネルギーは変わらないと思うのだよ。
でも、どこか身近なものに対する事の方が怖いのかもしれない。
それは手が届きえる事がそうさせるのかもしれない。
ある意味で当事者になっていく事への距離の見つめ直しが
そうさせるのだと思う。
だけど、現代っていう近頃はさ、
すばらしい景色、空、山、海に対して、
混ざりけなく素晴しいとする事が難しくして来ていると思う。
でも、俺はやっぱり素晴しいもんは素晴しいでいいじゃないか
って心底思うのだよ。
当事者になりうる事だけどさ、
だからこそ手に触れて、伝えられ、また相手に伝わる事だと思う。
そういう皮膚感みたいなものは大切にしたいと思うのだよ。
これは紅葉の中を実際歩いてみると一緒で、
ガサガサした落葉の上を歩き、
絵の中や映像の中を樂しむのとは違う触感に
よって意識する事から得る嬉しさみたいなものがあると思う。
そういう事をさ、大人や子供が触れる社会っていうのは
健全だし、語っていくのは大切な事だと思う。