151 いじめ・未履修

この二つがほぼ同時に世に出て、
そして同軸載せられて議論されている。
私も考えてみています。特にいじめについては。
いじめは昔からあった事だし、ほんと難しいと思う。
だから簡単にいじめはダメなんて言い切れないし、
いや言い切りたいがタメに考えて知って行くほど簡単じゃないのがわかる。
で、思うのだが
こどもの時は大人って偉くて、大層なもんだと思っているけど、
いざ、大人ってみると、見栄も外聞もあるし、
自分のためにも家族のためにも嘘をつかなきゃいかないんだよ。
それが会社であったりの組織のための時もあるでしょう。
それは大人なりの自己防衛だと思う。
自己、「自分」としているものがあって、
それはいつしかできる。
幼少から思春期ぐらいにはぼんやりとしたものが生まれてくる。
いじめている側も自己防衛なのだろう。
かと言って、推進するつもりは毛頭ないし、断固いけない事だ。
ではどうするか。
いじめられている側ももっとずる賢くなっていいと思う。
ケンカしたっていいじゃないか。
大人しく、真面目に穏便にしなくていいから、
正解じゃなくてもいい、間違っていてもいいから自己防衛をしていい。
よく大人の世界や世の中で大人しい事や真面目である事が
持てはやされているが俺には不可思議だ。
大人しくする場面や真面目に打ち込むべき所はあるが、
だがただそれだけでは生きていけない。
大人しいや真面目である事は一つの作法のようなものだ。
それはとても大切な事だし、広げるべきものだ。
もっと生き方としての自己防衛や自己表現を教えるべきだろう。
教育機関のなすべき事はそれではないだろうか。
そうなると意見の食い違いは出るだろう。
でも意見の違いを受入れる社会、人々っていうのは俺は大好きだ。
そしてそうであってほしい。
君はそっちいくの?
でも俺はあっちに行くから。
それぐらい張りがあってもいんじゃないだろうか。
そしてそれこそが民主主義でないだろうか。