149 向井亜紀さん出産

おめでとうございます!
っと素直に思います。
諸々のバッシングを受ける事を覚悟だろうし、
それと正義感とは違うのだろうとおもう。
子供っていうのは、本当に愛らしいものだ。
たけど、子供が大切だからって、
少子化なども託けて産まねばならないようにいうのは本当に憤慨する。
そういう中途半端な知識や考えやプライドからの正義感みたいなものは
辞めてほしい。
俺はよく言うのだが、
町が家族になってほしいと思う。
下町が良い例だろう。
だが、今はこの町や家族っていうものの行方を模索している時代だ。
家族っていう考え方の基盤が作られたのは室町に遡る。
それから500年以上の時が過ぎた現在でもこれが機能するかどうか。
それは日本っという国が時代を戦前、戦後、現在と経て来て大人になろうとする事、
一人の人間が個として正立しようとする事、
そして町や家族が正立しようとする事。
それらが噛み合い、居心地のよい場所を探しているのだろうと思う。
今の時代で必要な要素にブレーキとアクセルというのが。
戦後からはアクセルを沢山取り入れてきたのだろう。
バブル後はブレーキを。
じゃ、これからは?。
ゴツゴツした路を腹を据えて、進む事じゃないだろか。
整備された路を往来するよりも、けもの道を開拓する事。
枝葉としては元々は無かった事が、
実は個としても、町としても、家族としても重要な事じゃないかなぁ。
社会学では、アノミック、アノミーつまりは無連帶って事を
日本、日本人を語る時に使われたりする。
無連帶については同意見だし、それでいいと思う。
共産主義社会主義のように同一思想を持つこと恐さ
っていうのは戦中の日本がもってい原理主義一宇の精神がそうだ。
それと共に、正しさや論理性をあまりにも重んじすぎてる全体主義
これは是非とも避けたいし、避けるべきだ。
そして、そういう中央集権的考えは崩壊する。
人に迷惑をかけないや、自立しようするのがもっとも大きな団結なんじゃないだろうか。
それがゴツゴツした路で腹を据えるって事だろうし、
教育が担うべき所、大人になるって所だ。
話しは、脱線するが言いたいのでします。
数年前、ある番組での事だ。
報道系の番組だが、とある有名人の方の子供さんが
産まれて数ヶ月亡くなられたと伝えていた。
その事自体に対しては御自愛申し上げます。
ただ、その亡くなられた時の会見と共に、
子供さんが出産の映像まで流されていた。
もうさぁ・・・何を考えているのだろうか。
怒りに思わず声を荒げてしまう。
いつからそんなに軽々しく人を扱う様になったのだろうか。
報道の自由表現の自由はそんな扱いを許すのだろうか。
伝えるという事は、
伝えてはいけない事、伝えれない事、伝えれる事をわかってないといけない。
自由だと軽々しく言う前に、慮る気持ちがなければできない。
そして出来れければ、ただの伝わらなくてもいいというただの自己中心的な考えはやめてほしい。
我れを振り返る事と、自分を勘定に入れないっていう事とは違う。
その違い、分別をわからない子供が支えたりするのは本当に恐ろしい。
大人や老人が支える社会っていうのは、本当はワクワクするものだ。
これをどっかでわかっているだけで、楽しくて面白いものだ。
そう思って、しばらく暮らす事にしよう。