144 9.11 2006

世界大戰を経験した世代。
湾岸戦争を経験した世代、
こうやって今まで色んな事を思ったよりも経験してきた。
9.11ジェネレーション(世代)というのがある。
リアルタイムで感じた人たちだ。
日本に居た人、
現地アメリカに居た人、
世界のどこかに居た人。
さまざまだろう。
人々は5年で自分たちが思ったよりも変わっていて、
思ったよりも影響しているのだろうと思う。
たくさんの関わったとも、
少なかったともいえる。
話しつくされたともいえるし、
まだまだ話たりてないとも言える。
5年というのは膨大な時間であるかもしれないが、
しかしあの出来事を考えるにはまだまだ足りないと思う。
いくら語りつくしてもあの事件が無かった事にはならない。
この無かった事にはと、まだまだ足りないを肝に銘じて
考える事がとても大事なのだろう。
これは腰を座えて、語り、学ぶときに重要に思う。
両足を持つとでもいおうか。
一つ一つ前進させるためにも欠かせないことだ。
我々は色んな事を走らせる事に没頭して来た。
だが、歩んできたのだろうか。
両足でしっかりと独立してきたのだろうか。
旧来だったら、国家、市町村にて
長老、老人がその舵取りの機能を果たしていた。
だが、耳を傾けない者と口を貸さない者になってしまった。
国家や外交レベルだけじゃなくて、
耳を傾け、
口を貸し、
目で見つめて、
手足を動かしいく事が本当に大切で、
生活し、生きる上さえも眠らせてはいけない部分だ。
本來備わっている身体の力を信じてみるべきだと思う。
身体が脱ける、脳化すると言われるところは、
戦争まで引き起こすのではと本氣で思う。
身体を支えるのが脳だったはずが、
身体が抜け落ちて、
脳だけが暴走して、
脳ありきの身体という逆転現象が起こりだしている。
ではどうしたいいか。
それは農村から考えることだろう。
家があり、寺子屋があり、農耕をする。
それが地方を取り戻す事にも、
豊かな人、豊かな文化、豊かな身体を作る事にもつながるだろう。