133 わからないが不明

近頃感じる事の一つだ。
いわゆる若者っていう人たちにある事だと思う。
わからない。
なぜわからないのかわからない。
何がわかれば、わかるかわからない。
何を知ればいいか、わからない。
知っている、わかるってことからは
得意気な程派生することは多いけれど、
わからない、知らない事に対して、
足を付けて探る事が無い。
歩いてネタもとを稼ぐや、
歩いて仕入れる、
歩いて訪れる。
そういう足がない。
恐らく、携帯電話とパソコンを常食し手が発達しすぎた影響かもしれない。
文明の発達の仕方は以前足で耕したものを、手で納める
っていうのが物流の流れだった。
それが今や逆転している。
身体感覚が欠如したと言われる一端だろう。
「わからない」 「わかる」はゴールではない。
むしろスタートラインだと言っていいだろう。
そこから何をはじめるか。