132 袖

むかしから
袖すれ会うも多生の縁。
っと言われる。
本当にそうなんですよ、これがまた。
切っ掛け、つまりは機会を作るっていうのは
なかなかできない事だ。
その一つにしてしまってもいいではないだろうか。
なぜそんな事を言い出すかって言うと、
電車、病院の待合室、ベンチ等々で隣合う。
そんなケースがちょくちょくあるが日本人は
苦手なんじゃないかなぁって前から思っていた。
まぁ確かにそわそわと落ち着かないのもわかる。
ただ、こういうのも縁じゃないかなぁって、
思うっと最近決めた。
メルヘンチックな出会いを求め、っという事ではない。
縁、として関わると不思議なもので自分に身がつく、
そういうのを日々感じます。
会社なんかでも、学校なんかでもそうじゃないかなぁ。
大げさなようだが、それが共同体って事を意識する
第一歩なのではないだろうか。
同じ並びで生きる、
フラットな社会で生きる、
共に生きる、
そんな事のはじまりではないだろうか。
向かい合ったり、伺う、拝見する。
そういう事はあったりするが、
隣合い、 袖すれ会うも多生の縁っとまでは
意外と行かない。
いや、意外と
隣合っているものだ。
それを機会と思ってみる事に決めた。