128 尼崎JR事故

尼崎JR事故より一年以上が経ちます。
あれの出来事が悲しむを生んだ事、怒りを生んだ事
それはたしかな事だと思います。
どうやったら防げたか、
二度と起さないためにはどしたらいいのか、
責任はとられたのか、
あの後JRは何をしたのか、
報道はどうされたのか、
そんな疑問や答えの出ない事が残されている。
そして風化していく。
彼らが生きていた事を強く、強く感じたいと思います。
それからはじまるのではないでしょうか。
悲哀にも世の常の如く、悲しい事はあります。
戦争、惨劇、災害、事件、事故・・・。
悲しく、悔んでも悔みきれるものではありません。
誰かを殺したからといって帰りもしません。
どこが悪かった、何をすれば良かった、
あいつが悪い、いやこいつが悪かった、
行かなければ、何かを持っていれば、
結果論として問われ、そして訪れた答えにさえ疑問が出る。
結果論より生み出された言葉たちで、二度と起こさせないために
受継ぎそして教訓にして欲しい。それも必要な事です。
それよりも彼らが生きた事を強く感じたいと思います。