126 情熱大陸

今日素晴らしいものを見た。
情熱大陸で服部医師を取り上げていた。
今年40過ぎの先生で、
大学を浪人して入り、
留年して眼科を卒業した。
若くからベトバムに無償治療に出向き、
現在も続けている。
日本でも難しい手術を続けているが、無所属である。
所謂ブラックジャックだ。
揶揄するもの、煙たがるものもいる。
その中でも数年仲間が増え、
彼を見込んでくれ、そしてベトナムへの活動も理解し医療器具の提供もある。
彼のベトナムでの活動は過酷だ。
日本でのひきもりって言うのは、学校・人間関係・家族・社会への不満、
色々あるだろう。
だが、ベトナムなどの発展途上国では汗水垂らして
動けないと仕事にならないのが現状だ。
なので、難病はひきもり、そして自殺に至るケースは少なくない。
ましてや眼への難病は、体を動かす道標を失い、さらに悲劇を招く恐れがある。
彼はそれを痛い程知り、出来る出来ない問題ではなく、
自分が関われる事に関わって行くというスタイルで、人を助けている。
こういう仕事・人との関わり方は人ととしての本望に深く感じた。
ベトナムの病院より遠く離れた村より訪れた少年。
すでに左目は失明し、右目は光が僅かに入る状態、色の識別すら危い。
彼らの生活水準からするとこの機会を逃すと次までに彼らが生きているかさえ解らない。
難病であるこの手術を成功させ、経過を見守る暇も無く日本へ帰国。
日本ではフリーなので転々と様々な病院のオペにあたる。
その中でも日本では捨ててしまうものでも、ベトナムなら十分再利用の価値のあるものを
頂きながらベトナムを思い出す。
そうしてゆっくりなんて言葉が挟む余地のないほどの日常が過ぎて、
ベトナムへとまた戻る。
ここでは日本との過酷さとはまた異質なものが待っている。
半難民と化してしまう可能性が高く、そして放置すればそれは死が待っている。
戦場など今の世の中にありがちな表現を使えば簡単に片が付くが、そんな生易しいものじゃない。
ベトナムを経つ前に手術をした少年の村に、取材班が出向いた。
以前はサングラスを掛けて、家に居た。
術後、彼は村の子供たちと一緒にサッカーを楽しんでいた。
その姿を村から戻った取材班が服部先生に伝えた時の笑顔がどれだけ素敵な事か。
あんな笑顔は作れるものじゃないし、心底うれしそうだった。
日本にいると、裕福であるって事をなかなか感じない。
感謝するにも誰に感謝したらいいかわからない。
平等主義でみんなが一緒じゃないと許されずにそれによっての弊害が沢山ある。
資本主義が跋扈し、道徳の腐敗。
政治家の品格の欠如、国民の品位の堕落。
個人主義から我儘放題と自堕落な思想と慈悲・感謝を忘却。
「自分なんてどうなったっていい」一人でも多くこんな人が居れば日本は変わるだろう。