92 マイケル事件

ついに判決が出ました。
Not guilty=無罪でした。
理由としては、被害者の証言及び証拠がマイケルを有罪とするものではない。
ここで焦点になるのは、ノット ギルティーである。
日本の司法制度と異なるのがここで、
日本では完全無罪か完全有罪と言う判決が出るまでやる。
アメリカでは司法として有罪か、有罪とはいえない、と言う所がある。
陪審員制度の影響で、有罪の場合には当然証拠・証言・理由の真実性が問われる事になる。
どちらがいいか難しい所ではあるが、陪審制度自体には疑問視は残る。
いくら有力な証拠があったとしてもそれを有力とする判断能力があるかどうか。
日本は有罪無罪がつくまでに完全性を問われるので非常に時間がかかる。
日本形式とアメリカを割って、
陪審員へのアピールを禁止して、今までとほぼ同じ段階で進めて行き、
裁判の段階でどう考えても有罪・無罪と言うのは有ったりするから、
そこで決議させるのはどうだろうか。スピード化と公平性もあると思うのだが・・
んーもちろんすべてに当てはまるとは言えない部分もあるので難しい話しだ。
日米でこの事件は大きく取り上げられている。
スーパースターの事件も合間って話題性は十分なのだろう。
なぜこれほどまでにメディアに流されるか。
メディアの衰退だろう。壊れてきている。
1990年代、アメリカと日本でほぼ同時に起きた現象。
TVが視聴率が重要視されるようになり、それにより日本ではマスコミの盛況、アメリカではニュースマガジンと呼ぶものが、
ジャーナリズム・報道を食い始めた。
それによりタブロイド紙・週刊誌に載っている情報が元にされるようになり、
政治や国際問題・内政外政がニュースから減っていっている。
野茂がメジャーに行った2年ぐらい前からCNNニュース(アメリカの大手メディア)を見るが流れている内容が段々変わっているのが解る。
今では、マスコミネタとスポーツそして戦争とマーケットと事件・事故と災害などである。
今の日本はどうだろうか? 全く変わらない。
しっかりとした報道を見ている人間がどれだけいるだろうか?
ニュースと言う言葉は日本が正しく訳すのは難しい言葉ではあるが、報道です。
それが今は話題だ。
衰退させたのは、資本主義と視聴率重視にしたメディアと話題性に飛びつく視聴者。
マスコミは確かにどこ国にもある、しかしそれを大手メディアがやってるのは日米ぐらい。
他の国は信頼性を失うからやらない。当然だ。
マスメディアである自覚がある。
情報を正しく伝え、その是非を問う、それが報道であると言う。
今はそれがない。マス(大衆)ではあるが、メディアではなく、コミニケーションだけだ。
ただ無責任に流し、是非を問わずに垂れ流す。
日米のメディアが壊れたと当時に急成長したのがインターネットだ。
今じゃ、アメリカのニュースでBlogを伝えるほどまでになっている。
中国・韓国では内政的規制まで掛けられている。
歯止が利かなくなる前にどこかで一度本当の報道とメディアを作り直すべきだろう。
ジャーナリズムの欠けらもないみのもんたが朝からTVに出て言っているが、
なぜあれをTV局がOKをするのか全くわからない。
戦後は色々なものが複雑になった。
それを一度戻す時期だろう。シンプルにね。