52 愛知万博

今日本で盛り上がりそうな場所って考えると、
東京、大阪は中心になり、その次として中部愛知と九州福岡でしょう。
東京大阪が変化させようがなくなって来ているのもあるが、愛知福岡はなかなか元気。
鎌倉は東京の別荘として、京都は大阪の別荘的になってる。

沖縄もそうだけど、大阪東京有りきで考えてて、
茶店のコーヒーの風味だけ味わってる所がある。
その風味を都会で味わう為に自動式を入れてるけど、
やっぱり手でガリガリする方が美味い。
でも、その旨みには苦労もあり、継続する大変さもあり、だからこそお店の風格がでたりもする。
都会的には、自動化した事で安定はするけども、風格という感覚より染みになったりもする。
そのどっちを選ぶって事だろうな。
愛知万博に戻そう。
環境問題ってのがテーマとしてある。
問題なのは、環境破壊をしてまで、環境問題をしないと自覚がないって所だろう。
問題問題っと連呼されて数年経つが、生物的な問題だと思う。
生き物は食わないと生きていけない。
食物を捕らないと、魚を動物を狩らないと暮せない、木を伐らないと家だって出来ない。
もっと言うと、環境問題ってなってるけど、
結局は人間が暮せていけないって視点から展開されている。
エゴなんだよ。
科学的変化があろうが、自分たちの生活が変わらないとあれば問題とはされなかっただろう。
恐らく、植物みたいに光合成みたいな事をして生きているとすれば、
周りの動植物にあろうが、生きていけるっとなっただろう。
そこまで考えてこその環境問題だろう。
今言われているような環境問題は単純な事ばかり。
木を伐るな、水を汚すな、石油を使うなって。
じゃー、遡っていくと原始人になるしかない。
ファッションも、本の資源としての本も、電気を大量消費する音楽も、
グリーンピースで訴えてる人たちが乗っている船だって駄目だ。
資本主義による大量消費をされ、欲望を満たされているが、
自分たちの子供、孫が使う資源を消費している。
快適な生活、衣食住を満たす事が本当の環境問題じゃないだろうか。
快楽的な個人主義を認めていく事で本来は環境破壊をしている。