51 アインシュタイン

今年はアインシュタイン・ブームが出てきている。
万博なんかもあり、科学より論議されたする流れだろう。
相対性理論が言うまでも有名って所だが。
軽く触れるとつまりは、E=MCの2乗となる訳だが、
エネルギー=質量*速さの2乗って事。
とっても、シンプルにされた式だが、これは芯を突いていて、
生物学的にも、質量の4分の1乗が生涯の時間とされていたりする。
色んな分野にも広がりを見せた事がわかる。
他には、ひも理論は宇宙や存在とかって、哲学的要素が含まれていたりする。
20世紀は物事が複雑化した世紀で、
科学や数学の分野が哲学に影響を及ぼしたりして、宗教が揺らいだ。
その影響を受けて、哲学や宗教的要素としてあった、絵、すなわち美術が芸術となった。
ダリによるダダイズムピカソによるキュビズムポロックによる抽象表現主義だったり、シュールレアリズム、ウォホールのポップアート
音楽はもう少し遅れて、黒人音楽としてあった、ブルース、ジャズがロックになった。
そこからバンドサウンド、ポップやダンスサウンド、ポストロック、テクノ、ネオテクノとなっている。
宗教となりかわって、カルチャーが埋めるようなったと言って良いだろう。
文学なんかも、元々はシェイクスピアが起源でそれを夏目漱石が日本に持ち込んだ。
そっから、元々はシュールレアリズム的な表現方法である描画を、
ストーリーと組み合わせたのが漫画であり、その祖が日本では手塚治虫であり、アメリカではディズニーだった。
ディズニー自体は、キャピタリズム=資本主義の象徴だったりするけど、
おかまいなしに純粋なんて言ったりしてるんだけどね。
レオナルドダヴィンチが描いた「最後の晩餐」とかも、有名な絵だけど、
結局はキリスト教の象徴で、美術ってのは象徴ってのが解る。
ピカソの「ゲルニカ」とか、ダリなんかもそうだけど、絵って言うよりも「記号」で理論の証明としてあるってなってる。
ポップな音楽もそうだし、ポップな絵をそうだけど、より絵としての意味よりも人間の快楽としての象徴なってる。
最近で有名なのは村上隆やな。スーパーフラットって言って、意味合いよりもグラフィックによる快楽みたいな所だよな。
難しい話になるが、意味の無意味の意味なんて、論文を出して、
結局は言葉は人間が生み出したものであり、それは元々は無意味で、
個人主義による、快楽の象徴化をしていて、それはなぜ日本で無意味とされたのかとういと、
無宗教によるカルチャー主義が生まれた結果、このような象徴が生まれたと意味を述べていたりもする。
日本自体は、江戸の開国時と敗戦とバブル崩壊の三回日本を捨てている。
それによる、国内の混沌が起きている。
数学の話を戻すと、個人的には得意分野では無いが、なかなか面白い。
0って簡単に使ってるけど、本当は存在してないものを存在かしていたり、
1,2と2,3の間は共通として存在はするけれど、0,1は有と無でパラドックスがあったりする。
もっと、1、2は偶数と奇数と違ったり。
さらに言うと、人間の思考としてあるのは、2までなら並列して置けるが、3からは階層としてしまう。
100まで行くと、個体としての認識からは離れていって、自然からはどんどん離れていって、業の極みって感じがするね。
本質的には数学は嫌いじゃないが、受験ってのは、数学化していて、方程式を覚えるかどうかで、
それが嫌いやめた。
元々はギリシャ、ローマ、インドで発達した数学なので、宗教的意味合いが強かったりする。
様々な哲学者や思想家が宇宙の要素とはって考えていったら、
月と太陽、水、金、地、火、木っとなる。これは月と太陽は付属として、5曜日がある。
この5曜日も人によって、組み合わせが違ったが、
4つの人が多くそれにみんな一つ何か足した。
なぜかと言うと、7曜日が一週間としてあり、それが4あると一月、それを12で一年。
地球の公転と自転の関係から、7*52とされたところから。
数学ってのは、人間の業で、周りの要素を削ぎ落したりして、希望的観測の塊だったりする。
もちろん、逆にそれが矛盾として否定的にもなりかねない。
バカとハサミは使いようって言うが、数学や科学もそうで、
凶器にも、コントロールするものにも、快適なものサシとしても、使いようがあるだろう。