24-25 chasm/シフクノオト

24-25 
Chasm/坂本龍一さん。
完成度がめちぇめちゃ高い。
音楽って、言うか、作品って色々形があるけど、
ココまでできるもんなんやぁって思う。
音だけとっても、生っぽさとエレクトロ、クラシックとパーカッシブを融合している。
私的な考え方でもあるし、坂本さんも考えている事やけど、
現実を五感で感じるという前提があって、それを思考で纏めて、
言葉や作品とかって、共通で認識できる記号するものだと思う。
言い方を変えれば、五感があって、存在するもの。
言葉の中には、必然的にも、言葉があるものだと思う。
視覚は何がどこにあるのかを、知る為のもの。
聴覚は何かが過ぎるのを、知る為。
二つが連合して成立する。
そう考えて行くと、今回のアルバムは面白い。
アルバム全体の方向として、chasm(溝)がある。
その空間中に、一つ一つのモノ(曲)がある。
曲中にも、音が写真のように入っていて、ナチュアル。
とても、おもしろい。
これでちょっと面白いのが、宮崎さん(ジブリアニメ)なんです。
アニメなのに何故、リアルなのか?ナチュラルなのか?。
デフォルメ、所謂写実的じゃないのに。
恐らく、順に追って行くとこんな形だと思う。

世界観が先にある。

その世界には、こんな人がいる、こんな景色があるっていうのがある。

この人がどんな性格で、どんな動きをするのかが解る。

キャラを描く時に、こんな動きをして欲しいとかじゃなくて、
こんな動きをするって言うのが、描ける。
これをパラパラアニメの要領で伝えていく。
動線が直線・曲線でないので、躍動感がある。
そして、デフォルメなので、特徴が伝わりやすい。
だから、リアル=ナチュラルになる。
世界観からじゃなくても、キャラからとかでも、応用がいくらでも利く。
キャラがいて、どんな所に住んでいてとかね。
映画を見てても、殆ど無駄なカットがないように思う。
世界があってその中で、写真とってるみたい。
視覚そのものは、時間がない。
距離があって、そこにどれだけ時間がかかるか、それで奥行きがある。
時間がないから、リズムがない。
3Dって、直線と曲線だから、線状の動きだから、聴覚(リズム)とも考えれる。
一つの絵だけじゃ、リズムはない。
マンガはストーリがあって、その中を写して行くから、両方がある。
両方を組み合わせると、一つだけとっても完成度が高く、全体で見てもおもしろい。
そして、見るだけでも、聞くだけでも面白い。んー、良く出来てる。

シフクノオト/Mr.Children
買って直に聞きました(笑)。
DVDはまだ見ていんですけども、恐らくは
ゼロはゼロなんだ、みたいな事じゃないかなぁっと思う。
アルバム全体で言うと、そう言う事かなぁ。
音だけで言うと、
初期はとっても、ベーシックやったけど、そっからエレクロトになって、
それを調度融合した形になってい、坂本さんと共通する部分が多い。
とても興味深い。
ただ、ベーシックだったり、エレクロトな部分のルーツが違うだけかなぁ。
ここからは、極めて私的なので、興味のある方のみでお読みくださいませ。

ニュースで流される事件・事故、戦争、天災などなどの問題…。
子供の頃から気にする方。 
ヒトだから って言うのがとてもキライやし、人の事やからって考えたい方やと思う。
オウム真理教・多殺事件・阪神大震災・ダイアナ妃の事故…。
その一つとして、あったのかが 2001年9・11同時多発テロ
正直、オレは悲しかったし、悔しかったし、自分を無力にも感じたし、怒りもあった。
暫くは、無念だし、無気力な感じやっと思う。
それでも、やる事があるし、こなしていた。そう、こなしていた。
それも、とてもイやでしかたなかった。でもそうするしか無かった。
そっから、一年たって、「HERO」を聞いた時に一瞬「え?」っと思った。
「例えば誰か一人の命と  引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているだけの男だ
愛すべきたくさんの人たちが 僕を臆病者に変えてしまったんだ
・・・
駄目な映画を盛り上げるために  簡単に命が捨てられていく
違う 僕らが見ていたいのは  希望に満ちた光だ 」。
オレは当時まったく同じ事を考えていた。
アメリカは当時、テロへの報復を掲げる体勢でした。
とにかく止めたかった、でも止める力はオレは無いし。
もし、あったとしてもオレは家族と友人をとったと思う。
オレはその時、暴力に対して過敏になっていた。
だから、映画(作品)に対してもとても過敏で、正直嫌悪感すらあった。
その嫌悪感を払拭する為に、新しい考えをひたすら探していた気がする。
それがオレにとっては、希望の光そのものやった。
そこから、学校を卒業するとほぼ同じに、イラク戦争が始まった。
悔しかったし、悲しかったし、怒りもあったし、
テロの時同様、 いや、それ以上だったと思う。
ヒステリックだったかもしれないほど。
9月にタガタメが流れ出した。
オレは桜井さんがこの曲を歌ってくれる事が他の誰に歌ったくれるより嬉しかった。
この曲はアーティスト自身にとってもとてもリスキー。
そしてこの曲は商品として販売したくなかったと思う。そんな曲じゃないと思う。
ほとんど独学でだけど、絵を描き始めて半年ぐらいたっていた。
それと同じになんとかしたいと思っていた。でも、オレじゃだめ。
それと、とてもヒステリックな状態では書きたくなかった、描いちゃダメやと思った。
ヒステリックな思いとヒューマニズムがぶつかっていた。 
ただひたすら、なんの為の戦争なのか。それだけを考えていた気がする。
12月。くるみ/掌。
ラジオで聞いたのは11月ぐらいだったと思う。
それから1ヶ月前に、自分の中で結論が出た。
総てを認めるしかない。認め合うしかない。
認め合わない事によって摩擦が生じる。
そう思っていた。 久々に描いたのが掌の絵でした。
オレは何でこのを書いたか、未だに解らない。
この絵はまだ誰にも見せた事無いし、今はそんな絵じゃない気がする。
いつかわからんけど、そのうち見せたい気がする。
掌の歌詞はオレの考えそのままだし、減りもしないし、増えすらない。
正直、びっくりした。 
不思議な感覚でした。たぶん、人生のあんまり味合わないものだと思う。
12月の始めごろ。
前から読みたいっと思っていた、手塚治虫のブッタと寺山修司の詩集を読んだ。
何故読んだかというと、英語だったり、海外の文化を勉強をする事を悩んでいて、
オレの出来る事って、やっぱり日本人として出来る事だとって言うのがあった。
その中でも素晴らしいっと思ったのが、この二つやった。
仕事の人に聞いて、そっから雑誌を読んだら、
桜井さんがこの2冊を最近読んだって書いていた。
しかも、タイミングとしては、殆ど同時期。
クリスマスの約束」 で、「作品重視で、目標はない」っと話しておられるのみて、
嬉しくてたまらなかった。
俺自身、作品対して色々考える。色々も見てきた。
目標は?っと聞かれると正直困る。 良い物がとにかく作りたいと思っている。
そこから今回の「シフクノオト」。次の作品の「Sign」。
色々考えて出た、結論として俺自身は、
何かが起きてた事についてだったり、
モノに対して、面白い、面白くない、喜怒哀楽、っと価値を決めるのは、
俺たち自身で、全くフリーだって事に気付いた。
それは仕組みさえ与えてあれば、面白くなるって事。
それが人としての仕事だと思う。
先述したように、
現実を五感で感じるという前提があって、それを思考で纏めて、
言葉や作品とかって、共通で認識できる記号するものだと思う。
そう、「sign」。
最近、記号だとか、言語の勉強をしている。
いつになるかわからんけど、とにかく続けたいと思う。
自分に才能があるとかって、 一回も思った事ないし、 あるのかどうかわからん。
伝えたい。良い作品を作りたい。それをひたすら思います。
以上です 最後まで付き合ってくれた方ありがとうごじます。