22 ニュースステーション終了

「久米さん」お疲れ様でした。
僕らの世代は、ニュースを見る時って大体が「news23」か、
どっちかやったから、そう考えると一つの世代が終わったのかなぁ。
「久米さん」は、スゴイ人やと思う。
番組でも色々やってはったけども、
ここで遊んだり、盛り上げても大丈夫とか、
ここは突っ込んで話してみたり、色んな角度から見ようって、
ラインをスゴイわかってはるなぁって思う。
最近のニュース番組を見てて思うのは、
報道なのか、ニュースなのかが、ごっちゃになってる。
ニュースって、情報を伝える所に要点を置くモノやと思う。
んで、報道って、事件やったりの物事に対して「どうでしょうか?」って議論を含めたモノやと思う。
それを、ニュースの場面で変に入れたりするから、
視聴する側はそれが「答え」になってしまうのが多々ある。
それと昔と比べて、テレビ(メディア全般もそうですが)が普及した事によって、
注意視する事が希薄になっているのを感じる。
何かの事件が起きてたら、「はい、どっちが悪い?誰が悪い?」って論点にすぐに行く。
これは怖い。二元論的懲悪で非常に怖いですよ。
よくある話ですけど、
車に自転車が当たり、事故になったら、殆どが車の運転手の責任になる。
当然、運転手に責任はあります。
でも、自転車に乗っている人に責任がないのでしょうか?
その人は周囲に注意を払っていたのでしょうか?
防ぎようのない事故だったのかもしれないですよ?
そこの論点が全くない。
状況として、車が自転車を轢いた、だから車の運転手が悪いって、めちぇめちゃな話しですよ。
以前最も明白に出たのが、「松本サリン事件」です。
第一通報者であった人物の家周辺6箇所からサリンが検出された事により、
報道機関各社が疑惑を報道し、彼は二つの被害を背負う事になった。
報道をした彼らは、事件を解決するプロなのだうか?報道のプロではないのでしょうか?
なぜ、わからない段階で報じる必要があるのだろうか?
そしてこれをなぜ、TVなので報じないのでしょうか?
自らに非があるから?それならなぜ非を認めないのでしょうか?
彼を見込んでくれ、そしてベトナムへの活動も理解し医療器具の提供もある。

最近、プライバシーと報道自由についてあります。
どう思いますでしょうか?
芸能人や有名人の話しがよくありますが、
あんな事に報道の自由はいりますか? 絶対にいらないですよ。
そして、何故それが許されてるのか全くわからん。
報道の自由って、色んなメディアが主張をしますよね。
そりゃ当然ですよね。
報道に自由が無くなったらその先は、「都合の良い話し」だけが残る事になる。
そうさせちゃ絶対にダメだし、メディアはそんなものじゃない。
情報にしかすぎない、情報=絶対の信仰みたいになったら絶対ダメですよ。
そして情報を知る側に権利が当然ある。
そして、選択の権利がある。
しかし最近は、面白い、面白くない、悪影響を出してしまう、
とかって理由でクレームをつけて、他者の選択の範囲を狭めて行ってる。
もし、面白くなかったとしても、それは自身が選択したモノ。
クレームをつけるとしたら、どうしたら良くなるかを持たなくては、
完全否定で完全排除ですよ。
お笑い番組で「食べ物」を使うとダメで、ドラマだとありとか、差別ですよ。
私的には色んな選択肢持って行って、それでもこれはダメやなってものが悪だと思う。
中途半端な正義感ほど怖いものは無い。
自分がアリと思わないものを、腐して行くなんて、排他主義者ですよ。

こういう仕事・人との関わり方は人ととしての本望に深く感じた。

ベトナムの病院より遠く離れた村より訪れた少年。

すでに左目は失明し、右目は光が僅かに入る状態、色の識別すら危い。

彼らの生活水準からするとこの機会を逃すと次までに彼らが生きているかさえ解らない。

難病であるこの手術を成功させ、経過を見守る暇も無く日本へ帰国。

日本ではフリーなので転々と様々な病院のオペにあたる。

その中でも日本では捨ててしまうものでも、ベトナムなら十分再利用の価値のあるものを

頂きながらベトナムを思い出す。

そうしてゆっくりなんて言葉が挟む余地のないほどの日常が過ぎて、

ベトナムへとまた戻る。

ここでは日本との過酷さとはまた異質なものが待っている。

半難民と化してしまう可能性が高く、そして放置すればそれは死が待っている。

戦場など今の世の中にありがちな表現を使えば簡単に片が付くが、そんな生易しいものじゃない。

ベトナムを経つ前に手術をした少年の村に、取材班が出向いた。

以前はサングラスを掛けて、家に居た。

術後、彼は村の子供たちと一緒にサッカーを楽しんでいた。

その姿を村から戻った取材班が服部先生に伝えた時の笑顔がどれだけ素敵な事か。

あんな笑顔は作れるものじゃないし、心底うれしそうだった。

日本にいると、裕福であるって事をなかなか感じない。

感謝するにも誰に感謝したらいいかわからない。

平等主義でみんなが一緒じゃないと許されずにそれによっての弊害が沢山ある。

資本主義が跋扈し、道徳の腐敗。

政治家の品格の欠如、国民の品位の堕落。

個人主義から我儘放題と自堕落な思想と慈悲・感謝を忘却。

「自分なんてどうなったっていい」一人でも多くこんな人が居れば日本は変わるだろう。