J・D・サリンジャー死去

サリンジャーの小説はどこか青臭い。
でもその青臭いことを無碍に嫌うことはできない。
なぜなら、おいらたちだって、青臭い。
現実の話を大きく語ったり、小さく語ったり、
なかなか現実をそのままに語るなんてできっこない。
それはつまりは夢を語っているのと同じだ。
その夢、または想像たちは言葉によって膨らませられる。
ひとりではないという証明書のように、
言葉が形作られていく。
友人や家族という愛すべき隣人たちによって。
サリンジャーが映し出した世界は、
そういった愛すべき隣人たちによって、
我々は青臭くも想像的な夢を持ち、
それこそがひとりひとりがもっている物語性というものだろう。
おいらはこの物語性が大好きだ。
ひとりひとりが数多ある偶然と出会いながらも、
必然的に物語性を持っている信じているし、
またそれは幸せなことなのだろうと。