285 明るくって作ってるもの

その時代によって、
個性の時代、
自己責任の時代、
選択の時代とかって、
いう言いかたをしたりするけれど、
ぼくは好きとか嫌いよりも、
その人が大事にしていることを考える時代な気がするなぁ。
簡単に出せる答えではないし、
正解っていうものは恐らくないだろう。
つまりは人それぞれだ。
それをわかるとかっていう、頭で考えるよりも、
心の動きとして許す、許される、
っていうことがいいなぁって思う。
相手を許すこともとても大事していることのひとつになると思うし、
ぼくも大事にしている。
それが出来ているかどうかはなかなか自分ではわからないけれども、
また別に自分を許すってこともして行くのもいいんじゃないかなぁ。
自分を律したり、努力をしたり、つまりは励んでみることも、
ぼくはある意味好きなことのひとつだけれども、
自分を許すというのは意外としてない気がする。
なんだか自分を許すというのと、励んでみるというのは、
反するように思えたりするけれども、
そうじゃないと思うのだ。
自分を許すから相手を許したりする気がする。
また言い訳とも違うだろう。
ぼくは自慢したり、自慢されたりするのがとても好きで、
自慢したりするチームとかっていうのがある意味理想な気がします。
もちろん謙虚さも持ち合わせてほしいし、
ひけらかすはやっぱり皮膚感覚としてやだなぁって思う。
けれど、
好奇心や向上心から出る楽しみとしての自慢みたいなものは、
いいと思うなぁ。
つまりはそれって善意だと思うんですよ。
正しいかどうかは、わかりませんよ。
でも、なんだか知らないけれど明るくって、作ってるものがある。
そういうのを作るためにも許したり、許されたりしてほしいなぁって、
思うのでした。