279 安心社会から信頼社会へ:山岸 俊男著

効率的にしようと考えることはとても大事なことだし、
それによって生まれることもたくさんある。
だけども、
効率というものを伸ばしていくと、
妙にむくむくと楽になろうとしたりする。
その楽になろうはとても不毛なものだと思うのです。
つまりは、
一生懸命しようと、上手くやろうの間に、
効率というものはあるのでしょう。
でも、
楽というのはとても観念的だし、
捉えどころない正体の見えないもので、
それを追い出すと実は、
一生懸命と上手くやろうの間からは、
外れてしまう。
すると、
ぼくがいちばん大事だと思う、
一生懸命することと、上手くやるが、
外されてしまったりするんですよね。
思えば、
仕事で楽に行ってるときは不毛で、
他に使えない場合が多いなぁ。
楽という不毛な競争を色々とやったりするのだが、
「よかったなぁ」って話にはなりにくいんだよなぁ。
楽というのは、
仕事だと誰に向かってるのかが、
非常に見えない気がするし、
だからこそなかなか使えるものにはならない。
でも、
意外と一生懸命やったり、上手くやることで、
誰かのためになったりして、
使えるものになったりするんだよなぁ。
「楽」と同じ字が使われる、
「楽しんでやる」っていうのは、
どこかに向かっていて、
それは信頼がどこかに向かってると言えるんだよなぁ。
楽しんでやるが美しく、信頼は素晴らしい。