77 みどりの日

自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ日。
が由来とされているらしい。
これをどれだけの人が感じているだろうか?。
所謂環境問題の根っこにある考え方になってくると思う。
でも、白黒はっきり出来るような話じゃないんだよね。
自然の中で生きていて、そしたら何か食べなきゃいけない、
食べることが義務でもある。それが権利でもある。
だからキリスト教的な善悪をつけるような事でもない。
現代人の中に何か罪意識のようなものがどこかある気がする。
それは違う。
だって、暮らせない。
何も食べない動物、何も摂取しない生物、なんて居ない。
それをどう解消するか。循環させるしかない。
適量を食べる。
って事になる。
それがえらいでも、すばらしいでもなく、そうやって行くことじゃないかなって思う。
近頃血液が足りない。
だからって訳でもなく時間があったから献血をしてきた。自慢でもなく、偉い訳でもなく、義務でもなく、ボランティアなんて事でもなく、
出来る事だからすればいいんじゃないかなって思う。
もちろん偽善だなんて揶揄される事でもないだろう。
80年代ぐらいから日本人は偽善をしなくなった。
偽善のどこが悪いのだろうか。揶揄し、罵倒し、嘲け、何が変わるだろうか。
それでも良いから変えていかなければ行けない事もある。
そうやって続けて行く事もある。
毎日お疲れ様、おやようございますって挨拶をする。
そう思わない日もあるだろう。これが人間かも知れない。それが個人の感情なのかも知れない。
でも、続けて行く中で感謝をし感動をしていくのが、人間ではないだろうか。
それが大人じゃないだろうか。
80才ぐらいなっても、お疲れ様って頭を垂れる事が出来る人ってすばらしいと思う。
そして、孫世代も出来ればもっと良いと思う。
そうやって、三世代の事まで考えていかなくてはならない。
もうすぐ母の日。
おばちゃんが生まれてくれた事、母が生まれてくれた事、そして生んでくれた事。
一日ぐらい感謝しよう。
生まれる事が出来た家族、社会、に対して。
そこにはリスクもあっただろう、それに対して新しいものを生み、
それに対して感謝をしていくのはどうだろうか。
偽善は個人として思う所だろうけど、社会としてはすばらしいことだと思う。