40 k-19 解夏 ゲロッパ

K-19。ネタバレ有り。
久々に映画を見ました。
映画ってカテゴリー自体があってないようなもんだし、
事実とか事実じゃないとかでなく落ちるなぁ。
悲しいっていうのもあるんだけど、途中から、あんな状況にならざるえなかった事に腹立ってきた。
泣く事はなかったけど、人として悲しいし、辛いし、悔しいし、腹立つ。
クライシス。
個々による、国じゃなくて、国による、個々。
国益のために生きるなんてつらい・・・。
ラストシーンがものがたっている。
監督に敬意を表したい。
そしてこんな映画が生まれる事のない世の中にしたいものだ。
peace!

解夏。原作さだまさし。ネタばれあり。
曲といい、長崎の町、俳優、ストーリ、カメラの合わせ方。泣ける。。
寺のシーンとラスト近くの生徒からの手紙が泣ける。
そして最後に見たのが彼女やってよかった思った。
んで、ストーリーの中にある立場の変化。
彼の方が最初は彼女をひっぱり。
彼女が海外へ行った後に、彼が病気にかかり失明してまうかもしれない事がわかる。
病気がわかった後に彼が落ち込み彼女が離れるけど、わがままなのは彼女だし。
もちろんお互いが言えば良かったけど彼は失明である事をいえないし。
そこから長崎帰って、その後を彼女追ってきて、彼女が母親に告げる。
そして日々徐々に視野が狭くなり、このペースでは3ヶ月で失明してしまう事を教える。
寺である大学の教授に会い、
そこで仏教の考えで、夏の雨季には木の実や虫が道に居、その中で普段ならば托鉢をするが、
しかしその中で道を歩くと実や虫を殺生してしまうためにその時期には托鉢をさけて、
座禅を組んだ。それが寺の始まりと言われている。
その雨季の始まりと共に座禅を始める事を結夏(むすぶなつと書いてケツゲ)。
その期間は90日間でその終わりを解夏(とくなつと書いてゲゲ)と呼んだ。
この下りがあり、彼にとっては病気が解った時点が、結夏であり、
失明するまでが苦行になり、失明した時が解夏であると。
その後、彼女が母親に認められる。
もちろん彼女はこのあとの辛さをわかった上で彼と一緒にいる事を告げる。
その後一緒に二人が一緒になるが、彼が一人で出来ない不自由さに苛立ち、彼を放そうとする。
そして、彼女が東京の方へ戻り、彼はその後をおっていく。
途中で自分の不自由さをしり、彼女の大切さをしる。
そして、以前に彼の家の近くの墓地で、ここから見た景色と似た絵がある美術館で二人は出会う。
二人は受け入れあい、数ヶ月が過ぎて、彼は失明してしまう。
が、あらましです。泣いてまうね。。
泣ければいいとも思わないけども、やっぱり落ちるわ。
ホンマやったら、泣ける自体があかん。それは普段どれだけ見た目に依存しているということだと思う。
特に今の時代は見た目に依存している。
直感、五感ではなく、直観、見た目になったのはいつからなのだろうかとつくづく思う。
言葉があるからキレイであったり、美しいというのは成立する。
それがキレイ先立っている。言葉が後で軽くなっている。
昔は良かったなんて老婆心をだすつもりは無いが、
落語の噺であったり、文学であったり、小説であったり、目が見えなくても、
良いと思える話があったし、それが良きものとされ、
見た目だけの話を滑稽劇とされ、仕立屋をもじってヘタテヤなんて言われたもんです。
そして、そこで話される事で、喜怒哀楽があり、浄化(カタルシス)があり、
それがキレイとされた。
浄化が無くなり、自分たちで貯めて、自分たちで首を絞めている。
何とも遣る瀬無い感じである。

ゲロッパ。井筒監督。
やられたね。岸和田少年ぐれん隊からそうだけど、井筒監督はすきだ。
人間にとって、煩悩の部分を切り捨てずに、一緒にまとめて行こうやって考えたはすき。
認めてるっていう所。中島らもさんもそうだったけど亡くなられたのが残念でした。
笑いもあるし、泣きもある。
レンタルしたけど始めて3回見た。
やられたね。そしか出ないね。
電話のシーンは泣けるし、笑えるし、久々に映画であの感じを味わった。
まっちゃんのビジュアルバムもそうやったかな。
映画で味わったのは「ライフ イズ ビューティフル」。
10回は見てるけど泣けるし笑えるし、苦味と甘味が利いた上手い日本茶を飲んだような気分にさせてくれる。