117 トワイライト/重松清

長編小説ですが、文章に音的な聴きやすさがあって、
スラッっと入ってきます。
元々文学好きな人なんで、小説って苦手に入るけど、
近頃読めるかな。
離遊としては、
文学と小説の、
フィクション・ノンフィクションの垣根が無くなって来ている。
それと、大きな理由としては、
大人であったり、子供であったりってことを、
80年代・90年代の小説って、
いや小説に限らずに神格化していて、祀られてるようで凄い嫌いなの。
でもそれが、しっかり捉えられてて、
人の「ろくでもなさ」が目をそらさず描かれてていい。
今の大人って、本音語る事がなくて、
悲しさも当然あるし、その中にも絶対にうれしいのもある。
悪い事も、失敗もするって事を言わない。
理論や知識やデータばっかりで美化したり、
いつもいう人の「業」 みたいなもんが語られない。
わかってはいても殴りつけたい事だって、
自分の弱さを感じる時だって、
やたらといやになる時だって、
投げ出したくなる時だって、
人に当たる事だって、
生きてりゃある。
そういう本音で語ってて、精製水がポトン、ポトンって
一滴一滴落ちていって、どこかわからない、
わからなくてもいいから、身に成って感覚がありがたい。
70年代、80年代90、今。
経済でも無ければ、科学でもない、
次の世代を捲るまいに少し、先輩たちの事を触れて見るといかがでしょうか。。